こんにちは。ヒロマルです。
この記事は、
新聞配達の体験や考えを短くまとめたエッセイ集です。
👉新聞配達コンテストに応募したエッセイの中から、紹介したいエッセイ
涙が止まらなかった新聞配達
今年の朝方4時頃、気温は氷点下で辺りは真っ暗。
新聞配達中の事。ガラス戸の玄関が割れていて、中からうめき声が。隙間から覗くと、小さく丸まって倒れているおばあちゃんがいた。極寒の中、玄関の地べたに裸同然のような薄着で倒れていた。
「大丈夫ですか!?」
反応がなく、玄関は開かない。警察と救急車の要請。近所に住む息子さんを呼び無事に救助した。
私は配達を続けたが、運ばれていく救急車のサイレンを聞き、声をあげて泣きじゃくった。私の新聞配達を応援してくれていた大好きな祖母を半年前に亡くしているからだ。状況が似ていて、物凄く思い出した。
元気だった祖母も一人でいるときに玄関で転倒して動けず、郵便屋さんに助けてもらったが寝たきりになり、98歳で逝ってしまった。
後で聞いたが、倒れたおばあちゃんは92歳。低体温症になっていて発見が遅れたら大変だったと・・。足を縫う程度で済んだが【どうか今後もご無事で】と願うばかりだ。
猫の無事を願う
新聞配達の順路に新しい直線道路ができ、スピードを出す車が増えたせいで、頻繁に猫が轢かれている。私はこの時、子猫を保護し、友人の所へ里親に出したばかり。
そんな頃、ひどい怪我をした猫が道路の真ん中で座り、動こうとしなかった。雨に打たれながら、私にか細く鳴いていた。私は、がくがく震えている猫にタオルを巻いた。バイクのカゴに乗せ、声を掛けながら近くの動物病院へ。だが病院は閉まっていた。猫を雨に打たれない物陰に座らせ、気付かれるように細工して配達を再開した。その後、飼い猫だったら・・と不安になり、前述の友人に確認を頼むと、細工は元通りになって、猫はいなかったと。私は猫の生存確認ができなかった。私は正しかったのか?
でも、あの場にいたら確実に轢かれている。そして死を覚悟するかのように佇んでいた猫を見ないふりできなかった。半端な優しさで申し訳なかったと思いながらの配達になった。
今でも思い出すと涙がこみあげる。
深夜のヒッチハイク
寝坊して新聞販売店に注意されていた頃、終電で寝過ごし、60㎞先の終着駅に着いた。地方なので戻るにも電車がない。タクシーで帰る金もない。見知らぬ街で深夜に迷子になったのだ。3時間後には新聞配達という状況で、携帯の充電もなくパニックに。出した答えはヒッチハイク。国道に出たが、トラックは止まらないし、コンビニで深夜に声を掛ける勇気が出なかった。時間に怯えながらヒッチハイクを試みていた時、雨が降り出す始末。絶体絶命を感じた時、車が停車した。
『どこまで行きますか?』
私より10歳ぐらい若い青年が仕事帰りのドライブついでに乗せてくれた。家の前まで送ってくれてお礼も拒否し、往復90㎞以上走行して自宅に帰っていった。
帰路の会話が楽しく夢中になり、私は名前も連絡先も聞かなかった。後悔でしかない。
その日は遅刻もせず、10年以上新聞配達を続けることができているのは、彼のおかげだ。また会える奇跡はないだろうか・・。
猫の家族
私は学生の頃、飼っていた猫をバッグに入れて背負い、家出をした経験がある。そのくらい猫が大好きだ。今は別れの時が辛いので側にはいないのだけど。
私の新聞配達区域に、猫の家族がいる。というか私が勝手に家族だと決めつけている。子猫は気まぐれで、父猫は私に近づかないが、母猫はいつも私にべったりだ。私を見つけると側にきて寝転がって甘えるのだ。たまらなく可愛い。きっと飼い猫だけど、私は配達中にそんな猫の家族と頻繁にコミュニケーションをとっている。家族だと確信するほど体を寄せ合い、仲良くじゃれている様子がたまらない。その猫の家族は冬になると姿をみせてくれなくなるので、今年の春、会えるのを楽しみにしていたら、なんと母猫の腹部がパンパンに。確実に子供がいるね。
子猫が1匹で寂しかったけど、楽しみが増えた。猫の出産には心配事もあるけど、みんな元気に育つといいな。私はこれからも、勝手に見守っていこうと思う。明日の配達中も会えるか楽しみだ。
わたしがもらったもの
新聞配達を始めて最初の元旦。
新聞入れに『新聞配達いつもご苦労様。体に気を付けて今年もよろしく』という趣旨のメモが。一緒に、お茶とお年玉袋に入った500円があり、元旦の大変な日で極寒だったが、私は一瞬で疲れも寒さも吹っ飛んだのを鮮明に覚えている。本当に胸が熱くなったのだ。私は後日、新聞と一緒に『元旦の心遣いありがとうございます。心が温かくなりました。今年もよろしくお願いします』と返事を投函した。
新聞配達にはよくあるやり取りなのかもしれないが、私には新鮮で、価値を感じた。大人だからお年玉をもらったのは久しぶりだった。それから10年以上、直接お会いしたことはないが元旦のやり取りは続いていて楽しみの一つになっている。私にとって大きな励みになったことは間違いない。
何気ない出来事でも人の心が動き、その後が変化する。私がその時にもらったものは、【思いやりを忘れず、一つ一つの出来事を大切にして生きるという心】なのだと思う。
少年の成長とお母さんの笑顔
数年前、朝4時に頻繁に外に出て新聞を受け取ってくれる親子がいた。
『おはようございます。お兄さん頑張ってねー』
と、お母さんは満面の笑みとエールで迎えてくれ、4歳位の子は手を振ってくれた。子供には私がどんな風にみえているかと思うと、なんだか背筋が伸びる思いだった。私にも同じ年頃の子供がいるが、この時間に起きていたことはない。
ところが、年月とともに会う回数が減っていき、お母さんのシルエットが、台所のすりガラスに映っていることが多くなった。子供に会うことはなくなったが、庭に干してある靴や自転車がだんだん大きくなっていくのを見ると、成長が感じられてなんだかうれしい。
私が思うのは、またあの弾ける様なお母さんの笑顔をみたい。表現できないほどのパワーとやる気をもらい、頑張ろうと思えたからだ。感謝しかない。ありがとう。
ただ、一つ言わせてほしい。私は見た目お兄さんだが、実はおじさんだったと・・。
ばあちゃんの教え
1年前に他界したおばあちゃん。昔から心配ばかりかける私の事を気にかけていた。そして私の新聞配達の仕事を誰よりも応援してくれていた。
『苦労は買ってでもしなさい』
大人になる前に、私に教えてくれた言葉。その教えを大切に守ってきて幸せな今がある。上手に感謝を伝えることはできなかったけど・・。
実家に帰ると、小学生の頃におばあちゃんの膝で一緒に新聞を見ていたことを思い出す・・。私は今、新聞配達に誇りを持っている。新聞に関わり、たくさん成長させてもらったからだ。
『ばあちゃん、もう心配ないよ』
あなたのおかげで立派に生きることができているから。ばあちゃんにしてあげられなかったことは、お母さんにしておく。できなくなってからでは遅いから・・。
今後も、おばあちゃんの教えと新聞配達が私の活力になる事は間違いない。新聞配達という仕事に出会えて本当に良かった。今は、私が新聞を読むとき、自分の息子が膝に乗ってくる。
ネットと新聞
私は中学の2年間と大人になってから10年以上新聞配達をしてきた。おかげで人生が好転した経緯がある。
そんな新聞配達の魅力を伝えたくて、ネットを使って発信を始めた。激しく変化する国内外の情勢があり、ネットニュースが先行する中でも、新聞が時代に反しているとは思わない。新聞の魅力を知らないだけだ。長年、情報を伝え続けてきた新聞の良さを未来に残したい。そんな想いで発信と配達を続けている。
ネットニュースはパーソナライズされ、情報が偏り、信頼性に欠けてしまう部分がある。
新聞は目で見る情報だけでなく、配達に関わる人たちにドラマがあるから温かさを感じ、心を動かし、人生や生き方さえも左右する。そして記者の絶え間ない努力がある。信用性があり、幅広く情報を得ることができるのだ。だから、自分の小学生の息子にも子供新聞を読んでもらい、感想を記してもらっていた。
私はどちらも扱う者だが、今後も新聞と新聞配達の魅力を発信していきたい。
【朝を制する者は人生を制す】
有名な言葉だ。新聞配達はまさにピッタリで、脳が活性化される朝の時間帯にしっかりと活動し、心と体を動かす。
学生時代の私は自分で起きられず、何度も母親に起こされ、毎日喧嘩をしていた。新聞配達を始めてからは体が自然に動くようになり、布団から出られなかった冬の朝などは遠い記憶になっている。配達すると、社会の動き出す様子を知ることができたり、日の出や、朝焼けの美しさに心が動かされたりした。雨風に耐える忍耐力もつき、風邪をひくこともなくなった。
つまり、友達に誘われて始めたアルバイトだったが、新聞配達という仕事に出会えて、心身ともに成長し、習慣の大切さを体感できたということだ。
今後、私は自分の息子に新聞奨学生という選択を考えている。私の背中を見ているから、きっと真剣に考えてくれるのではないかと。親のわがままだろうか・・・。
いつか、息子と一緒に新聞配達をしてみたいと思ってしまうこの頃だ。
学びの多さに感動
新聞配達を始めた頃は、ただ配達していただけで感じなかったが、今は目に入るものすべてに興味、関心が湧いてくる。建物の構造や、庭の作り方、道路の種類、季節によって移りかわる空の様子や木々、社会が動き出す様子や、深夜に働く人の仕事の種類など、例を挙げるときりがない。私は新聞配達を通して沢山の学びを得ている。そして、得たことを趣味や、暮らしに役立てる事ができて、楽しく新聞を配達している毎日だ。
その驚きや感動、達成感など、私の話す内容に感化されたのか、寝るのが大好きな妻まで新聞配達を始めることになった。今では、配達が休みの日は調子が出ないというほどで、本当に驚かされた。
社会貢献をしながら、幅広く教養を得ていると思うと、こんな得なことはない。しかも、規則正しい生活になり、運動不足を解消できて健康的だというのだから最高だ。
明日も、『ありがとう、ご苦労様』と言ってくれるあのおばさんに会いに行こう。
夢を叶える
私の働く新聞販売店のベテラン配達員が辞めた。
独身の彼は30代で、私より早く新聞配達をしていた小栗旬似のイケメン。10年以上新聞配達を頑張っていたと思われる。しかも、深夜1時~2時頃まで居酒屋の厨房で仕事をして、駐車場でわずかな仮眠をとり、そのあと朝刊の配達をしていたのだからすごい。無駄話もせず、他の人より多くの新聞を配達していた頑張り屋さんだ。
そんな彼が辞めた理由は『夢だった自分の店をオープンさせるから』と社員に聞き、そのために頑張っていたのだなと納得した。私も同じく料理人として仕事をしているせいか、なんだか誇らしくなり、そして負けていられないなとも強く思えた。
そんななか去年、私の夢も実現することができた。家族のためにマイホームを建てることができたのだ。
日々の努力が報われる瞬間はたまらないものだった。彼もそうだったに違いない。彼は自分の店で、私はまた新聞配達で、次の夢に向かって頑張っていく。
いつまでたってもお母さん
母は、私が実家に帰ると必ず
『新聞配達頑張っているの?』『店長は元気?』『バイクで配達なの?』などという趣旨の質問をしてくる。親族が集まった時などは特に大げさでわざとらしく、小さな子供を心配するかのように新聞配達の事を聞いてくるのだ。私はもう42歳。6人兄弟の一番下で誰よりも心配や迷惑をかけた私が、今は頑張っていることを知らせているのか?それとも頑張っている息子が誇りなのか?
心配はありがたいけど、私がいつまでも親を安心させてないみたいだ。私も親だから気持ちはわかるけど・・。
以前の私とは違って、新聞配達を始めた頃からは別人のように大人になったと自分でも感じている。新聞配達という仕事が、私の弱い部分を成長させてくれたのだ。
その分、実家に連絡することが少なくなり、心配されているのかな・・
でもお母さん。
そろそろ自分の心配をしてくれ。兄弟みんなであなたの身体を心配しているのだから。
感謝の気持ち
私が新聞配達を十数年も続けていられるのは、夜中に一緒に起きてサポートしてくれた妻のおかげ。怪我したり、困ったりすると協力してくれる販売店の仲間達のおかげ。『ありがとう、頑張ってね』とエールをくれる購読者の皆様のおかげ。
多くの協力者がいて、今の私があると実感する。本当に感謝だ。そして、周囲に感謝する心を与えてくれた新聞配達という仕事に感謝している。
私にとって新聞配達という仕事に出会えたことは、社会の一員としてしっかりと生きる道筋を与えてくれたということだ。以前の私は自分勝手で、まわりが見えておらず、未熟者でしかなかった。きっと自分すら見えていなかった。沢山の職種やアルバイトを経験してきたが、こんなにも自分が成長したと思える仕事は新聞配達の他にない。
これからも、感謝する気持ちを忘れることなく、中身のある人間になれるよう頑張っていきたい。そして今度は、与えてもらうのではなく、自分が与える側になってみたい。
新聞配達の体験談や考えのまとめ
いかがだったでしょうか?
コンテストように書いた内容なので、すこし堅苦しくなっています。
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